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Dukeに関する考察

研究・考察
01 /31 2015
 以前Twitterのタイムライン上において、『汽車のえほん』第20巻『100さいの機関車』(1965年)第4話「ダックと公爵」の内容に関しちょっとした議論になりました。具体的には、この話は25巻への伏線なのか?作中でダックが言っていた「デューク」とは誰か?「デュークが来る」という話の真意は?機関車達はデュークの正体を知っていたのか?などといった話題です。こうした疑問について私が自分なりに考察をしたところ、後にフォロワーの某氏からその考察をブログに掲載してほしいとのありがたいご要望を頂きました。そこで今回はその考察を、Twitterに上げたものに加筆・訂正も加えつつこの記事にしました。既にTwitter上で読んだ方も初見の方も是非一読し、各々の研究に役立てていただければ幸いです。


 まずは「ダックと公爵」の粗筋を簡単に振り返ってみましょう。ネタバレも含みますので未読の方は注意。なお以下、万人への分かりやすさを重視して固有名詞の表記は原作新装版ないしテレビ版に準拠することとします。

 スカーロイ鉄道の新しいループ線の開通式前日、ダックはピーター・サムに「デュークは立派で堂々としていたがスクラップにされてしまってもういない」と語った。開通式への出席をデューク自らが宣言したらしいと聞いていたピーター・サムはダックの話にショックを受け、仲間の機関車達にそのことを話す。スカーロイはダックが冗談を言ったのだと主張するもピーター・サムは否定。そこへ到着したほっそり重役に機関車達はダックの話をするが、重役は耳も貸さずスカーロイに開通式の予定のことだけを伝えて帰っていき、機関車達の議論もそこで終わった。
 翌日、予定通りに行われた開通式の中でスカーロイが「デューク」を連れて来る。スカーロイの列車から降りてきたのは上品な紳士で、彼は一同に向かって演説を始めるがピーター・サムは納得がいかずに「あなたは生きておられるのですか?」と質問。「デューク」はピーター・サムに対し「ダックは『デューク』を大西部鉄道の機関車のことと勘違いしているのだろうがデュークとは人間の公爵のことであり自分は生きている公爵なのだ」と説明。その後、公爵の祝辞にレニアスが答辞を述べ、開通式は大成功を収めたのだった。


 また、参考までに第25巻『きえた機関車』(1970年)第2話「デュークとファルコン」の冒頭部分についても粗筋を記します。

 ループ線の開通式以来、ピーター・サムは事あるごとに「本物のデュークは来なかった」と言い、ダンカンが否定すると「僕達の知っているデュークではなかった」と主張。サー・ハンデルも「僕達のデュークは機関車だ」とピーター・サムの意見に加勢するが、ダンカンはダックの発言を引き合いに出して一蹴。スカーロイは双方を落ち着かせた上でピーター・サムとサー・ハンデルに「君達のデューク」の話をしてくれるよう頼む。彼らは、自分達が以前働いていたミッド・ソドー鉄道という鉄道と、そこにいた機関車デュークの話を始めた…。

 以上の内容を踏まえ、いくつかのテーマに沿ってこの件を考察していこうと思います。

○牧師の意図について
 『汽車のえほん』シリーズ中、「デューク」という言葉は20巻4話で初めて登場しました。この言葉が何の説明もなく唐突に登場した理由は25巻への意図的な伏線だからとする見方が一般的ですが、もしかすると25巻に登場したデュークの設定は20巻のストーリーへの後付けなのではないかという意見がありました。まずはこれについて真相を明らかにするべく、本シリーズの著者ウィルバート・オードリー牧師の執筆前後の動向から調べてみましょう。
 オードリー牧師が物語の舞台であるソドー島をモチーフにしたレイアウトを製作し、作中に登場する機関車達の模型を走らせていたというのは有名な話です。彼はサー・ハンデル(ファルコン)とピーター・サム(スチュアート)がスカーロイ鉄道に来る前デュークと共に働いていたミッド・ソドー鉄道のレイアウト、及びデューク、ファルコン、スチュアートの模型も製作していますが、製作を開始した年は20巻刊行の翌年である1966年。微妙な年ですね。故に20巻を執筆した時点での牧師については、既にミッド・ソドー鉄道の機関車デュークの設定を想定した上でその伏線として「ダックと公爵」を構想した可能性と、「ダックと公爵」執筆直後に機関車デュークの設定を新たに思い付いた可能性の両方が考えられます。
 しかしそんな曖昧な結論では納得がいきませんよね。20巻よりも前の巻を見ると、10巻でも14巻でもサー・ハンデルとピーター・サムがかつて別の鉄道で働いていたことについては度々言及されていますし、特に14巻4話の「僕達の鉄道は売られた」旨の意味深な発言はやはり意図的に仕組まれた伏線と考えるべきかも知れませんが、これも牧師が25巻の設定を予め考えていたということの根拠にするには少し弱い部分があります。
 そこで、牧師の設定考案時期をより明確にするべくブライアン・シブリーが著した彼の伝記『The Thomas the Tank Engine Man』を紐解いてみましょう。これによると、牧師は20巻刊行より7年も前にデュークのモデルとなった機関車プリンスがいるポートマドック(現ポースマドッグ)を訪れています。また、刊行の4年前には英国国教会新聞の記事の中でプリンスをお気に入りの機関車の一台として記述しています。ここから、デュークに関する設定は20巻より前から固まっていた可能性が極めて高いと推測できるわけです。とは言え、20巻になっていきなりDukeなどという聞いたこともない名前が出てきたことに関しては、機関車か人間か、はたまたミッド・ソドー鉄道(以下MSR)の機関車か大西部鉄道(以下GWR)の機関車かといったことに関わらずやはり唐突感は否めません。だからこそ議論になるのでしょうね。

○ダックが言った「デューク」について
 「ダックと公爵」冒頭でダックが言っていた「デューク」が終盤の公爵の言葉通りGWRの機関車のことだとするとき、GWRには名前に「デューク」の付く機関車が三種類知られています。
 まずは、GWR初期にダニエル・グーチが設計し1846年から55年にかけて製造された広軌の機関車アイアン・デューク型。有名な機関車ですから知っている人も多いでしょう。ヨークの国立鉄道博物館にもレプリカが展示されており、このレプリカは原作35巻『Thomas and the Great Railway Show』に登場してトーマスと対面していますね。しかし、この機関車は真っ先に候補から外れます。何故かと言えば、アイアン・デューク型は広軌廃止などが原因で全車両が19世紀中に引退し間もなく廃車されているからです。ダックの「スクラップにされてしまった」という発言とは一致しますが、ダック自身が1929年製であるためアイアン・デュークの存在自体は知っていたかも知れないものの実際に会ったことはなかったはず。従って「立派で堂々としていた」かどうかまでは知っているはずがありません。余談ですが、35巻でトーマスと対面したレプリカのアイアン・デュークは1985年製です。
 続いて、ウィリアム・ディーンが設計し1895年から99年にかけて計60台が製造されたデューク型こと3252クラス。この機関車も全車両が廃車されていますが、ダックが話していたのがこの機関車であるかどうかには疑問の余地があります。その理由が次に挙げる機関車です。
 三つ目の「デューク」は、チャールズ・コレットの設計により計30台が生まれたデュークドッグ型こと3200クラス。別名でアール型とも呼ばれます。この機関車は新造ではなく既存の機関車を改造したもので、その既存の機関車こそ先に挙げたデューク型です。そもそもデューク型は、製造された60台の内20台が1902年から09年にかけて3300クラス(ブルドッグ型)に改造・編入されました。また、残りの40台の内30台は1929年及び1936年から39年にかけての期間に余剰廃車となり、そのボイラーはブルドッグ型30台の台車とそれぞれ組み合わされて新しい機関車となりました。これがデュークドッグ型というわけです。つまり、デューク型の中で最後までデューク型の原形を留めていた車両は10台のみであり、しかもその10台も1949〜51年に廃車されています。他方、30台が存在していたデュークドッグ型はブルーベル鉄道に引き取られた一台を除き全車が1948年から60年までの期間に廃車されました。1929年から55年頃までGWR地域で働いていたダックにとってはより数が多く長生きしたデュークドッグ型の方がデューク型に比べて馴染み深い存在だったのではないかと考えられますし、1965年刊行の20巻の中で話題としている点から見てもデュークドッグ型の方が適当です。また、ダック自身もチャールズ・コレットにより設計された機関車ですからデュークドッグ型と似通った部分があります。それから、知っての通り「デューク」は「公爵」という意味ですが、デュークドッグの別名「アール」は「伯爵」という意味です。一方、ソドー公爵家の当主は本当の爵位が伯爵でありながら公爵と呼ばれることが多いので(因みにテレビシリーズで度々登場しているロバート・ノランビー伯爵もこの血筋です)、もしダックがデュークドッグのことを言っていたのだとすれば、後に人間のソドー公爵が登場することの伏線ではないかとも捉えることができます。更に、デュークドッグ型がデューク型とブルドッグ型を組み合わせた機関車であるという事実は、25巻でMSRのデュークがブルドッグと称されていることにも繋がっていそうです。なお、海外サイト「Thomas the Tank Engine Wikia」もダックの言っていた「デューク」をデュークドッグのこととしています。
 しかしながら私個人としては、ダックはデューク型とデュークドッグ型のことを総称して「デューク」と呼んでいた、と考えるのが自然なのではないかとも思っています。ともあれ、ダックの言っていた「デューク」の正体そのものは本編にそこまで深く関わってくることでもないのであまり追求する必要もないのでしょうが、いずれにせよダックと同時代にGWRで働いていた機関車であるということは確かでしょうね。

※追記
 「Thomas the Tank Engine Wikia」では2016年6月に見解が変更され、ダックの「デューク」はデューク型のことではないかと推測されるようになりました。

○原語版で見るDukeについて
 「ダックと公爵」の原語版では、サブタイトル(「Duck and Dukes」)とダックの台詞で「デューク」がDukesと複数形になっており、代名詞もtheyです。GWRの「デューク」はデューク型もデュークドッグ型も複数台製造されたのだからダックが複数形を使うのも当然ですが、対するピーター・サムはわざわざ単数形で答えています。これが謎を解く鍵になるかとも思いましたが、単にピーター・サムがダックの話をちゃんと聞いていなかったか、もしくは自分の都合のいいように間違った解釈をしたのかといったところでしょうか。とは言え、これにより原語版の読者は冒頭で既に二台の会話が噛み合っていないことを理解できるわけです。
 更にここで再び原語版を見てみると、ダックの台詞中の「デューク」は固有名詞なのでDukesとなっているのに対し、ピーター・サムの台詞ではthe Dukeと冠詞が付いている。つまりピーター・サムが言っているのは機関車デュークのような固有名詞ではなく人間の公爵のような一般名詞の可能性が高いのではないでしょうか。現にほっそり重役やスカーロイが明らかに人間の公爵のことを話している時も、呼称は同じくthe Duke。この他、ダンカンの台詞ではa Dukeとなっています。これらの情報は、25巻での設定が実は後付けであったということの根拠になり得るかも……と思いましたがどうやらこれは間違いのようです。と言うのもMSRの機関車デュークの名前は本来、一般名詞である公爵の肩書きを持つ人物に因んで名付けられたものです。つまり、固有名詞でありながら本来はThe Dukeと冠詞を付ける呼称が正しいのです。デュークのモデルとなった機関車プリンス(Prince、正式にはThe Prince)も同様。そのため、ピーター・サムがthe Dukeと冠詞を付けているからと言ってそれが機関車デュークを指していないことの証拠にはならず、それどころかこの冠詞問題もまた読者を混乱させるべくオードリー牧師によって仕組まれたトリックと言っても過言ではないかも知れません。また、後にピーター・サムは人間の公爵に質問する際Sir Dukeというやや不自然な敬称を使っています。公爵に対する敬称としてはYour GraceやHis Graceを用いるのが通例であり、現にレニアスは直後のシーンで公爵をYour Graceと呼んでいましたから、ここからもピーター・サムがDukeを爵位ではなく固有名詞だと信じていたことが読み取れます。
 余談ながら、終盤に登場した人間の公爵はピーター・サムの質問に答える際Dukesと複数形を使っていますが、これも特に深い意味があるわけではありません。恐らくこの時の公爵は自分という一人の人間ではなく一般的な爵位としての「公爵」について説明していたのでしょう。そのため複数形だったのだと思われます。

○ピーター・サムとサー・ハンデルの考えについて
 いずれにせよダックの話を聞いた時のピーター・サムの解釈については、20巻執筆当時の牧師の意図を立証することはできませんが少なくとも25巻2話冒頭を見る限りではMSRのデュークが来ると考えていたのでしょう。では他の機関車達はどう思っていたのでしょうか。
 ピーター・サムと同様にMSR出身のサー・ハンデルは一番重要なポジションにいながら何故か20巻では一言も台詞を発しておらず、Dukeの正体が人間と分かった後の25巻で初めて「僕達のデュークは機関車だ」とピーター・サムに同調しているため、20巻ではピーター・サムと別の考えを持っていた可能性もゼロではありません。
 大体、機関車デュークの名前の由来となったソドー公爵の話をデューク当人から常々聞かされていたサー・ハンデルとピーター・サムは機関車以外にもDukeが存在することを誰よりもよく知っていたはず。しかしそれを考えると、彼らはそもそもソドー公爵家の状況をどの程度知っていたのでしょうか。25巻1話で説明されているように四代目ソドー公爵(=MSRの機関車デュークがファルコンやスチュアートに度々語っていた「公爵」)が戦死したこと、五代目ソドー公爵(=後にスカーロイ鉄道のループ線開通式に出席することになる「公爵」)が公爵家を相続したことなどをどこまで知っていたかによって彼らの思考の可能性にも差が出てきます。もし四代目が死んだことまでしか知らず五代目の存在を聞いていなかったとしたら、Dukeの正体として人間の公爵を視野に入れないのも頷ける話です。

○ダンカンら他の機関車の考えについて
 続いてダンカン。彼は20巻で「デュークがまだいるとすると…」と疑わしげに仮定していたので、ピーター・サムと同じくDukeが人間であることは知らなかった様子。そして彼は25巻でダックの言葉を借りて「機関車のデュークはスクラップにされた」と言っています。恐らくダンカンは、ダックが言ったDukesとピーター・サム達のDukeが同一の機関車だと勘違いしていたのでしょう。彼がa Dukeと複数形を想定した単数形を用いているのがその証拠です。ダンカン以外の他の機関車達は勿論、サー・ハンデルとピーター・サムでさえも最初はそう思い込んでいたはず。しかし、20巻終盤で人間の公爵が「ダックが言っていたのは多分GWRの機関車」と言ったことで、サー・ハンデルとピーター・サムはダックのDukesが自分達のデュークとは別の機関車なのではと疑念を抱いたのかも知れません。けれどもサー・ハンデルとピーター・サムの出自をよく知らない他の機関車達は依然として前者のDukesと後者のDukeが同一の機関車だと思っていて、だからダンカンは25巻になっても「デュークはスクラップにされた」と言い張っていたのではないでしょうか。
 また20巻の時点でデュークの名前を誰もが知っていたことからして、25巻で詳しい話を聞く前にもピーター・サム達の言うデュークについて「昔ピーター・サムやサー・ハンデルと一緒に働いていた機関車がいたらしい」くらいの知識は他の機関車達にもあったと思われます。もし知らなかったのであれば何の疑いもなくDukeを「(人間の)公爵」の意味で捉えるでしょうから、ダックの「スクラップにされた」という表現自体に違和感を感じるはず。だから恐らくレニアスやラスティー、ダンカンら他の機関車は「サー・ハンデルとピーター・サムは昔デュークという機関車と一緒に働いていたが、ダック曰くデュークは後にスクラップにされたらしい」と共通の認識を持っていたのでしょう。その良い例として、原語版ではレニアスが開通式の時、デュークが来なくてスカーロイががっかりしているだろうと危惧していました。これは、ピーター・サムやダックが言うようにDukeの正体が機関車であると信じていた証拠でしょう。

○スカーロイの考えについて
 しかし、ここで少し怪しいのがスカーロイです。ピーター・サムの話を聞いた機関車達の中で唯一落ち着いて彼を宥めていたのが彼。更に、終盤ではDukeの正体が人間だと知らなかったレニアスやピーター・サムを尻目に何の躊躇いもなく「デュークをお連れしたぞ!」とはしゃいでいました。ここから考えるに、スカーロイは全てを知っていた可能性があります。
 そもそもDukeを迎えに行く役を任されていたスカーロイは「Dukeは人間」と直接聞かされていなくても、客車を牽いて迎えに行くと聞いた時点でDukeが人間であることは薄々分かっていたはず。ほっそり重役が他の機関車の話を聞かず彼とだけ話しているのもそれを暗示しているようにも思えます。もっともスカーロイに乗って来た人間の公爵は、ピーター・サムやダックの話をスカーロイから聞いたと言ってピーター・サムに真相を伝えました。もしスカーロイがピーター・サム同様に何も知らなかったのであれば、ピーター・サムとダックのことに触れつつ「デューク」の正体についてピーター・サムより一足早く公爵自身に質問し謎が解けたから上機嫌だったという至って自然な流れになります。
 では、もしスカーロイが最初からDukeの正体を知っていたとしたら、何故ピーター・サムに直接教えず公爵の口から言わせる必要があるのでしょう。サプライズとは考えにくいですね。Dukeの正体が人間であることが分かったからと言って機関車のデュークが現れるわけではなく、従って「デュークはスクラップにされた」というダックの話に関するピーター・サムの疑問は殆ど解消されないからです。あるいは、スカーロイはピーター・サムがダックの話をしてきた時に公爵の正体について自分が既に知っている事実を伝えようとしたものの、ピーター・サムが聞く耳を持たなかったので仕方なく公爵自身の口から話してもらうことにしたとも考えられます。
 とは言え、そのスカーロイも25巻ではダックの発言内容に疑問を呈しながらサー・ハンデルとピーター・サムにデュークの話をしてくれと頼んでいたので、ダックのDukesとピーター・サム達のDukeとの区別が付いていなかったという点はダンカンやレニアスと同じのようです。

○ほっそり重役ら人間キャラクターについて
 ともあれ機関車達の間におけるDukeの正体に関する認知率の低さを見ると、ほっそり重役は開通式のゲストについて連絡する時に「The Dukeが来る」としか言わなかったんでしょうね。それだけ言えば機関車達は当然人間の公爵のことだと分かると考えていたのでしょう。ところが機関車達はそれを、かつてピーター・サム達と一緒に働いていた機関車デュークのことだと誤解してしまった。もしかすると、Dukeが来ると聞いた時にピーター・サムやサー・ハンデルが昔の先輩デュークのことを初めて他の機関車に話して、それが元で誤解が広まったという可能性もあり得ます。その後ピーター・サムがダックの話を聞き、機関車達がその件について重役に話した時、重役は話を一応聞いたもののすぐに一蹴してしまいました。多分、ダックの話が冗談だと言えば機関車達は納得すると踏んだのでしょう。しかし重役が思っているほど事態は単純ではなかったと。
 この時の重役はGWRのデュークやデュークドッグの存在は知っていたかも知れませんが、ピーター・サムやサー・ハンデルと働いていたMSRのデュークの話は知らなかったのだと考えられます。何故なら、重役達の間でデュークの話が初めて話題となるのは25巻4話の冒頭だからです。サー・ハンデルやピーター・サムを購入した時に重役はデュークのことを聞かなかったのか、と言う人がいるかも知れませんがそこは勘違いしないでもらいたい。二台はMSRから直接スカーロイ鉄道に来たのではなく、ピール・ゴッドレッドにあるアルミニウム工場での勤務期間を経てから来たのです。つまり、重役のピーター・サム氏並びに鉄道の初代持ち主であるハンデル・ブラウン卿(20巻の時点では故人で息子のハンデル・ロイド・ブラウン卿に世代交代している)はサー・ハンデルやピーター・サムを購入した際にアルミニウム工場で働いていた彼らのことしか知らなかったわけで、デュークの存在を知る機会がなかったのは当然です。
 因みに、人間の公爵も25巻4話冒頭までMSRのデュークの存在を知らなかった可能性が高いと思われます。機関車デュークのことを最もよく知っていた父親(四代目公爵)を幼くして亡くした時に息子である彼はデュークのことをまだ知らなかったと25巻1話の終盤で言及されているからです。

 さて、ここまで長々と自説を述べてきましたが、ここらで総括に入るとしましょう。

○総括
 牧師の動向からして、20巻を執筆した時の彼は既にデュークやMSRに纏わる設定を想定していたと考えるのが妥当です。よって、これまでの考察からそれぞれ最も現実味のある説を抽出すると次のようになるでしょうか。
 まず五代目ソドー公爵がループ線の開通式に出席すると自分で宣言し、その旨をスカーロイ鉄道の持ち主がほっそり重役に連絡した際、機関車達がDukeの意味を取り違えるなどとは考えもしなかった重役はただ一言「The Dukeが来る」とだけ機関車達に伝えた。しかし、サー・ハンデルとピーター・サム、及び何らかの機会に彼らから先輩機関車デュークの話を聞いていた他の機関車達は、Dukeの正体をその機関車デュークのことと誤解してしまう。ただし公爵を迎えに行くことになっていたスカーロイだけはDukeの正体が人間だと分かっていた可能性が高い。
 その上ダックが開通式の件とは一切関係なしにいつものGWR自慢の一環として、自分の故郷で働いていた「デューク」と呼ばれる機関車が廃車された旨をたまたまピーター・サムに話したところ、ピーター・サムはダックの言っているDukesを自分達の先輩のデュークのことだと思い込んだ。そして彼はその話を他の機関車達にも聞かせる。これを聞いたスカーロイはピーター・サムを宥めるが結局Dukeの正体について自分の意見を言うことは敢えてしなかった。機関車達は重役にもその話をするが、ピーター・サムとサー・ハンデルの過去を知らない重役はダックの話が冗談であることだけを言ってその後は取り合わず、スカーロイに業務連絡だけをして立ち去る。この時点ではピーター・サムもサー・ハンデルもスカーロイも含め機関車達全員がダックの言ったDukesのことを、かつてピーター・サムらと一緒に働いていた機関車デュークのことだと勘違いしていた。また、サー・ハンデルとピーター・サム以外の機関車はダックの発言からデュークという機関車が複数台いると思っていたらしく、ダンカンはa Dukeという表現を使っている。
 開通式の日、Dukeの正体が機関車であると思い込んでいてしかも既に廃車されたと言うダックの話を信じていた多くの機関車はDukeが来ないと考えていた。だがスカーロイは意気揚々と人間の公爵を連れて来た。ここで、重役が言ったDukeが機関車ではなかったことが判明する。人間の公爵はスカーロイから事前にピーター・サムとダックの話を聞いていた。しかしピーター・サム達の言うDukeとダックの言うDukesの区別が付いていなかったスカーロイは「ダックの話をピーター・サムが信じている」ということだけを公爵に話し、かつてピーター・サムとサー・ハンデルがデュークという機関車と一緒に働いていたことについては触れなかった。このため公爵はピーター・サムから質問を受けた際、「ダックが言っていたのは恐らくGWRの機関車のことだろうが自分は機関車ではなく人間の公爵である」ということしか説明しなかった。ピーター・サム達と一緒に働いていた機関車デュークの存在を知らなかったからだ。
 この時、開通式のゲストとしての「デューク」の正体に関する機関車達の疑問は解決したが、MSRで働いていた機関車デュークの末路に関する疑問は解決しなかった。しかしデュークと共に働いていたサー・ハンデルとピーター・サムだけは、ダックが言っていたデュークはGWR機であって自分達のデュークとは全く別の機関車なのではという確信に近い疑問を持った。そのため開通式より後の25巻2話冒頭では、デュークがまだ生きていると信じるサー・ハンデル&ピーター・サムと、依然としてデュークはダックが言ったのと同一の機関車であり既に廃車されたのだと主張するダンカンらとの間で言い争いになった。ダンカンを宥めたスカーロイも内心は彼と似た考えを持っていたのだろう。
 この後、25巻4話冒頭で機関車達がデュークのことをヒューさんに話し、それによってそれまでサー・ハンデルとピーター・サムの過去を知らなかったほっそり重役、鉄道の持ち主、そして公爵もMSRのデュークの存在を知ることとなり、やがてちんまり重役と牧師コンビによるデューク捜索が始まる……という流れです。


参考資料

□文献
○『汽車のえほん(The Railway Series)』ウィルバート・オードリー著
・第20巻『100さいの機関車(Very Old Engines)』
・第25巻『きえた機関車(Duke the Lost Engine)』
○『The Thomas the Tank Engine Man』ブライアン・シブリー著

□ウェブサイト
Thomas the Tank Engine Wikia
Wikipedia(英語版)



 以上、私なりにDuke議論についての解釈を提示しました。このDukeの件は複雑なのでかなり分かりづらく乱雑な書き方になってしまい申し訳ない限りです。他にも考えられる説はあるでしょうが、今回の考察はあくまで本編の辻褄を合わせることに終始していますのでご了承ください。勿論「それは違うのではないか?」「こういう解釈もアリではないか?」といった意見も大歓迎ですので、もしありましたら当ブログのコメント欄ででもTwitterの私のアカウントにでも構いませんから遠慮なく教えてください。
 また、今回の考察のブログ掲載を提案してくださった某氏には心から感謝します。最近はTwitterの方ばかりに手を取られてどうしてもブログの更新が疎かになりがちだと反省しているので、今回のような要望はとてもありがたいです。「前にTwitterで上げていたこの考察をブログにも掲載してほしい」とか、逆に「Twitterで新たにこういうことを考察してほしい」といったこともコメント欄やTwitterで教えていただければ可能な限り応えようと考えておりますのでこちらも遠慮なくどうぞ。また、Twitterのアカウントは先日まで個人的な都合により非公開としておりましたが、恐縮ながらトーマスの面白さをより幅広い層に知ってもらいたいという願望から公開アカウントへと変更し、フォロワーでない方にも気軽にご覧いただけるようになりました。戯言と失言の多いアカウントですがそちらもどうぞよろしくお願い致します。
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エドワードについて

ハローです‼︎こんこんさん
いいですね、スカーロイ鉄道、僕も最近はまっています‼︎
さて、本題です。タイトルの通り、エドワードについてです。
皆さんの人気の高いキャラはエドワードだと思います。僕も好きです。
そんなエドワードの人気の秘密を考察して欲しいんです。
面倒であると思いますが(というか絶対面倒くさい)どうかご協力お願いします。

Konkon

どうも管理人です。
きかんしゃトーマスが好きなだけの一般人。よろしくお願いします。