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『Journey Beyond Sodor』感想

レビュー
09 /03 2017
 ご無沙汰しております、管理人です。およそ一年振りの更新になりますね。
 まあ当ブログをそう頻繁にチェックしている方などまずいないでしょうが、ろくに更新もせず何やってたんだと言いたい方もおられるかも知れませんしとりあえず長い前置きをさせてください。興味のない方は飛ばしてください。

 元々更新頻度の低かった当ブログではありますが、それが前にも増して低くなったのが一昨年でして、要するに私がTwitterに浮上するのをやめて以降なんですね。まあTwitterをやめたのも直接の原因はフォロワーとのゴタゴタなんですが、大学受験の一年前だしこれを機に勉強に集中するのもちょうどいいかな、という考えもありまして。そういうわけですから、私生活が一段落ついたらまたTwitterに戻ってもいいかなんて考えていた時期もあったりなかったりしたんですが、しばらくTwitterを離れているうちに何となく気分が変わってきたんですよね。熱が冷めたと言ったら語弊があるかも知れませんが、トーマスへの興味は失せないまでも、SNS上で考察をするためだけに毎日貴重な時間を費やすのもどうなんだろう?というつまらん考えが湧くようになったわけです。別にTwitter上のトーマスファンの皆さんについて悪く言うつもりはありませんが、少なくとも私個人についてそう思いまして。とか言いつつここ一年半くらいは定期的にTwitterに浮上してちょっかいを出したりもしていましたが、それもいい加減馬鹿らしくなってきました。ぶっちゃけ堅物敬語キャラも疲れるし飽きたし。そうそうキャラと言えば、このブログって管理人の口調がやたら頻繁に変わるから、開設時から現在まで通して読んだらめっちゃ情緒不安定な感じに見えそうですね。自分でやったら死にたくなりそうなのでやりませんけど。
 閑話休題、当ブログの話に戻ります。このブログに関しても、最初は不定期に考察記事を載せたり「質問箱」の質問に答えたりしていましたが、上記のような気持ちの変化を経て正直面倒臭くなりました。質問箱に関しては軽い気持ちで始めたとは言え、仮にも読者から頂いた質問ですから回答を提示しなくてはいけない!とモチベーションにしてはいたのですが、やはり私にも得意不得意な質問があるわけです。例えばQ6の、機関車の顔に関する質問。私もこの話題に興味がないわけではありませんが他の質問に比べると関心度はやや低いです。しかもあまり真面目に答えようとすると機関車たちの顔の特徴を一から十まで列挙しかねないですし、かと言っていい加減な答えをしては質問者様に失礼ですし。そんなわけでなかなか回答を書き進めることができず、実を言えばQ7とQ9の回答は一年ほど前にほぼ書き終えていたのですが、Q6が未回答のため更新せずにいました。それからTwitterの方ではSR CCT vanについて質問してくださった方がいましたが、そもそもSR CCT vanって何ぞや?な私にとっては完全に畑違いな質問でして、正直質問者様ご自身で調べられた方がまだ合理的だと思いましたね。サー・ハンデルの不在期間やソドー島のライオン像のことなどは私もそれなりに興味があるんですが、クソ長文になること間違いないので今のテンションだと書く気が起こりそうにありません。繰り返しになりますが端的に言って面倒臭いのです。ですので、ひとまずQ7とQ9だけ更新しました。残りの質問に関してはいつか私の気が向いた時にもしかしたら回答をするかも知れませんが、あまり期待しないでください。まあ、質問者様は皆さんいい方々ですしきっとご理解していただけるでしょう。特にQ6の方などは性格からして、私が回答リクエストをぶん投げたとしても許してくださると期待したいです。また通常の考察記事についても、当初は第19シーズンの感想・考察やらソドー島の歴史・地理のことやらを記事として書くつもりでいたのですがとにかく面倒臭(ryというわけで、後者に関しては私の気まぐれ次第でひょっとしたら載せるかも知れませんがやはり期待はしないでください。
 以上、前置き終わり。なっげえ。しかも駄文。熱い自分語りになりましたね、すんませんボス。

 さて、ようやく本題に入ろうと思います。タイトルでも示した通り、先日本国で公開された長編第13作『Journey Beyond Sodor』を視聴しての感想です。ちなみに、去年のこの時期には前作『走れ!世界のなかまたち』の試訳をしましたね。今年も同じことをしようと思っていたのですが、本編開始五分、ジェームスの歌の辺りで早くもやる気が失せました。お前ら最近歌いすぎなんじゃボケ。英語の曲って小節ごとの歌詞の情報量が多いから、日本語に直すの普通に難しいんですよね。欧米の人たちはそうも短時間で大量の情報を伝える必要があるんでしょうかね? そこまで頭の回転が早いわけでもあるまいに……ってのは流石に失言か。まあともあれ、そういうのも含めて洋画を無難に翻訳できる人ってやはり凄いと思います。皆さんの中には日本語版を観てとりあえず翻訳者を叩いとけ!みたいな方もいるかも知れませんが、もっと褒めてあげてください。ついでに一年前の私のことも褒めてください。
 というわけで試訳は断念したんですが、本編の内容が期待以上に面白く色々考えさせられたので、せっかくだから感想だけブログ記事にしようということで落ち着きました。無論あくまでただの感想であって、考察と呼べるような大層なものではありませんから悪しからず。
 では、作品を観ていて思ったことなどを適当に書いていこうと思います。あ、ネタバレ注意です。

 冒頭でまず登場するのは上空から見たソドー島の映像。『トーマスのはじめて物語』や『Bubbling  Boilers』と同じ演出なのでややマンネリ感は否めませんが、ソドー島の外部が本作の主題である以上、前提としてソドー島内部の存在を強調するのは不可欠なことですよね。
 原作の地図に比べ島の東部の面積が少し狭く見えたり川の流れに相違があったりメインランドの海岸線が尖りすぎだったりと多少気になる部分はありますが、島の地形などは概ね正しく再現されていますしこの演出はわりかし好きです。上に挙げたような原作とテレビ版におけるソドー島の違いも、ひょっとしたら重要な伏線だったりするかも知れませんからね。それはないか。まあどうあれ、このカットだけでも私は色々語れる自信がありますよ。原作の地図に描かれているカーク・ロナン付近の道路橋やテレビ版の地図に描かれているビッグ・ディッパー高架橋はこの映像を見る限り存在していないっぽいけどどういうことだろう?とか。特に後者は『魔法の線路』での崩壊以来修復されなかったという可能性もあるかも。
 あと毎回気になってるんですが、この遠景のソドー島ってどのくらい細部までCGモデリングしてあるんでしょうね。ブレンダムの港やヴィカーズタウン橋なんかはそれらしいのがぼんやりと見えなくもないけど。

 書いてて自分でもキモいなと思ったのでそろそろ次のシーンに進みます。それにしても、作品の舞台であるソドー島を初っ端からここまで詳しく説明してくれる長編は初めてでは?……と思ったら、『ミスティアイランド レスキュー大作戦!!』もそこそこ詳しく説明してましたね。そっか、どっちも島外メインの内容だもんね。まあいずれにせよ、冒頭の説明だけなら極めて初心者向けの作品と言えるかも。
 どのカットも日常感が溢れてていいですね。ただアールズデール鉄道組は集団行動多すぎ。役割分担させろよファーガス・ダンカン。あとライアン速え。それからハリーとバートは石切場好きですね。島内の製鉄所が再登場しないうちに島外の製鋼所が長編のメインロケーションになりつつあるんだし、こいつらにはもっと危機感持ってほしいですね。いや何の危機感か知らんけど。
 しかしこうして見ると、やはりソドー島の名所は中部以西に集中していることが分かりますね。ダックの支線とハーウィック線がクローズアップされたおかげでその傾向は一層顕著に。支線自体も東の方は地味なのばっかだし。まあ実際、町の発展とか鉄道史とか考えてもソドー島には東西問題が存在してる感じします(南北問題の方がもっと分かりやすいですが)。とりあえず高山鉄道をもっと出したりグレート・ウォータートンを再登場させたりすればいいと思う(小並)。
 ただ同じ東でも、やはりヴィカーズタウンの規模には圧倒されますね。そして平然と走ってる世界一有名な機関車。本作に至ってはヴィカーズタウンより西まで行こうとしてるし。前作でも示唆されてましたが、テレビ版のフライング・スコッツマンはメインランドから頻繁にやって来る「別の鉄道の機関車」の役割も兼ねているんでしょうね。ゴードンの塩対応の理由もそこ(&テレビ版スコッツマンの性格)に集約されそう。

 さてそんなヴィカーズタウン駅にやって来るヘンリーの貨物列車。いいっすね~喋る顔付き有蓋車&タンク車。と思う間もなくトラブル発生。ヘンリーは相変わらず不憫だけど、ヒロもヒロでこんなポジばっかりな気がするが気のせいか。てか停車中の列車に追突した側のヘンリーだけが脱線するって、よほどヒロの貨車が踏ん張ってたのかはたまたヘンリーが異常なブレーキの掛け方をしたのか。床屋に行ったダックよりも普通に凄いことやってますよ。あとこいつらいつも事故る時スローモーションになってんな。流石にもう飽きるわって言おうとしたけど第20シーズンのレックス脱線シーンは普通に笑ってしまいました。
 とまあそんなこんなでヘンリーの登場シーン八割終了。でもヘンリーにせよトビーにせよ、臆病キャラを下手に前面に出すくらいなら不憫な巻き込まれ系というだけの役回りしか与えられない方がましなのかなと個人的には思います。ところで、近年の長編は内容面で原作の特定の巻に対応しているという説が濃厚です。『勇者とソドー島の怪物』なら21巻と33巻、『探せ!! 謎の海賊船と失われた宝物』なら22巻と34巻、『走れ! 世界のなかまたち』なら23巻と35巻といった具合に。本作の場合、トーマスがメインランドから戻ってくるという点で36巻には言うまでもなく対応しています。24巻との共通点がちょっと考えづらいですが、貨車のいたずらや歌、あるいはメインランドでの冒険談などと考えれば一応辻褄は合います。ただ、本作はヘンリーが工場に送られ彼の代わりをジェームスが務めるという点で37巻への対応も兼ねているのではないかという説もあります。どうなんでしょうね。私は来年の次回作がヘンリーと消えた機関車の伝説に纏わる話になると信じていますが……ん? それなんて魔法の線路?

 オープニングシークエンス。お洒落ですね。
 本編を観ないと映像の意味が分からないオープニングって過去の作品を見ても割と珍しいのではないでしょうか。『ミスティアイランド』以来かな。本編に登場する施設に関する映像という点では『ブルーマウンテンの謎』や『勇者とソドー島の怪物』にも共通しますが、この二つはアバンタイトルの時点で既に施設が登場していましたしね。
 線路を描きながら流れるスラグ?溶銑?ばかりが目立っていますが、背景に歯車も映っており本編の内容がちゃんと意識されていることが分かりますね。そして最後に登場するソドー島の路線図。ただこれ、注意深く見るとカーク・ロナン線、陶土専用線、ヴィカーズタウンへ続く高山鉄道の路線などが描かれていませんね。高山鉄道の路線が消されるのは何となく分かりますし、陶土専用線やその他の雑多な路線は単に省略されただけなのかも知れませんが、カーク・ロナン線がないのは解せぬ。単にスタッフが忘れてただけだと思いたいですね。でないとゴードンが広々とした景色を創出したあの努力が無駄になってしまう。まあどうでもいいか。
 タイトルロゴ表示後も線路がメインランドの内地まですーっと伸びていくのがいいですね。まだ見ぬ冒険を暗示してる感じがしてわくわくします。ま、現実のイングランドの路線配置とは全然違うんだけどな! でもそうそう、この「現実」って結構大事ですよ。原作者で超リアリストのオードリー牧師が何故作品の舞台を架空の島に設定したかと言ったら、現実に存在しない舞台でストーリーを展開させることによりフィクションとしての前提を築いてしまった方が都合が良いという面が恐らく多分にあったはずです。原作でもたまにイギリス本土が登場したり言及されたりすることはありましたが、それらは大抵の場合、読者にキャラクターの現実性を示したりイングランドにおける鉄道の実情をリアルタイムで知らせたりという特別な意図を持って行われていました。メインランドを舞台にするということは、普段架空の領域で展開されている物語を現実に持ち込むということです。すなわち、場合によっては現実のイングランドと乖離した「嘘っぽい」メインランドを描くことに繋がるリスクを孕んでいるわけであり、そうまでしてメインランドを舞台にする意味がある作品なのか?という問いにも繋がります。まあ、その答えについては視聴者が各々考えることだと思います。
 本題に戻ります。メインランドに線路が伸びているしタイトルも『Journey Beyond Sodor』ではあるものの、画面の中心にあるのはあくまでソドー島なんですよね。物語はソドー島の外で展開するものの、その着地点はソドー島へ帰ることにあるというこの作品の特徴を表している気がします。
 ところでマン島どこ行った?

 オープニング後に満を持して主人公登場。てかこいつ動物に懐かれすぎじゃないですかね。あとここで出てくる鳥、リス、ウサギの三種類って何気に第15シーズン「パーシーのあたらしいともだち」でパーシーが仲良くなった三種類と同じなんですよね。トーマスが動物に挨拶するのは何となく「しんじられるきかんしゃ」を思い出すし。つーかトビーに挨拶したんだしトレバーにもしてやれよ。
『ブルーマウンテン』でも『探せ!!』でも、トーマスは初登場の時点では自分の支線を走っていました。そして、その段階ではまだ物語の舞台になるブルーマウンテン採石場やハーウィック線で起こっていることを何も知らず、トップハム・ハット卿から聞いて初めて知ることになります。本作についても同様です。いくらトーマスの顔が広いと言えども、自分の支線を走っていれば所詮外部のことを何も知らない田舎者にすぎないということですね。彼が持っているこの井の中の蛙的な性質が、本作においては重要な意味を持ちます。
 ナップフォード駅に来たところでもう一人の主人公ジェームス登場。お前が歌うんかい。今回比嘉さんと江原さんには本当に頑張っていただきたいです。ジェームスが歌っているのは、本作で今後繰り返し歌われる「Somebody Has to be the Favourite」。何となく民謡っぽいから元ネタとかあるかなと思ったけど、なさそうですね。にしても、メロディーは陽気だけど歌詞は自分以外の連中をかなり見下してて、いつものこととは言え嫌な奴ですねこの赤錆。
 で、何も知らずに観てた人もこの辺りで気付きそうなのが、機関車の感情に伴う車体の揺れ。ファンの間では割と物議を醸した話題のようですね。原作者が見たら怒りそうな気はしますが、私はこの演出自体はいいと思います。表情筋だけでなくピストンや汽笛まで多少なら自分で動かせる奴らですし、車体を横に揺らすぐらいは造作のないことでしょう。実際、この演出のおかげで機関車たちの感情表現が豊かになったのも確かだと思います。ただ、一つ強調しておきたいのは、「今までは」車体を揺らしていなかったということです。これは何も車体の揺れに限った話ではなく、例えば声優が今までと違う人に変更されたとか、今までは模型を使っていたのがCG制作に移行したとかいう事柄についても同じように言えることです。要は、制作側の急な方針変更は作品から統一性を失わせてしまうんですね。分かりやすく言えば、子供向け番組なのに「大人の事情」の自己主張が激しくなりすぎてしまうということです。まあ声優変更やCG化については、統一性云々よりも単に自分の思い出を壊されたくないというだけの理由で批判する懐古厨の方が多いかも知れませんが。例えば、何故ミスティアイランドは急に登場しなくなったのか。何故ヘンリエッタに急に顔が付いたのか。何故第1シーズンと『はじめて物語』の内容に相違があるのか。何故ロージーの塗装が急に変更されたのか。ここに挙げた変更の多くはファンから一定の支持を得ていますが、変更の理由について作中でフォローが入ることはありませんでしたから、視聴者の中には違和感を覚える人もいた(いる)ことでしょう。また、次のような考え方をすることもできます。ファンの中には、フジテレビ時代のトーマスの口調(「起きろよ怠け者」)に比べて最近のトーマスの口調(「起きてよ怠け者さん」)は毒が足りないと批判する人もいます。ですが冷静に考えたら、未就学児向け番組の主人公の台詞としては明らかに後者の方が適切で前者の方がアレですよね。なのに何故後者が批判されるかと言えば、先に存在していた前者に反するものだからです。昨今のトーマスについて私が思うに、ナイトロジェン・スタジオ(ニトロゲン・スタジオ)が制作に携わっていた第13~16シーズンは既存のものに合わせようとする傾向が強かったのに対し、アーク・プロダクションとジャム・フィルド・トロントが制作に携わっている第17シーズン以降は常に既存のものを超えようとしている気がします。その傾向は特に映像において顕著で、前者は最初から最後まで比較的安定したCGを制作していたのに対し、後者は第17シーズン時点では素人仕事のCGだったのが、第19・20シーズン辺りでは前者を凌駕するほどの完成度を誇るようになりました。どちらの姿勢の方がより良いと言うことはできませんが、少なくとも作品に変更を一つ加えれば意見の対立も一つも生まれるのだ、ということは覚えておきたいですね。まあ、車体の揺れぐらいなら些細な問題ですし結局は慣れだと思いますけど。ちなみに私はもう慣れました。
 トーマスはジェームスと同じくみんなの前で歌いたいキャラなのかと思ってましたが、いざ周りから注目されると躊躇してる辺り人間味がありますね。と言うか、そういうトーマスの性格を知った上で人々の注目を集め、トーマスに恥をかかせることと自分の歌唱力を披露することとを同時に準備してみせるジェームス狡猾やなあ。ただのお馬鹿キャラだけでなくこういう変なとこで有能な部分をもっと出してってもいいと思うよ。
 作業員たちはノリが良すぎるのかジェームスの奴隷なのか。フィリップがジェームスの歌の内容を普通に認めちゃってるのは以前よりジェームスと仲良くなったからなのか、単に馬鹿だからなのか。
 トロッターさんの豚を運ぶ仕事がまるで特別じゃない仕事の代表格みたいにされてるのが悲しいですね。第14シーズン「ディーゼルのとくべつなにもつ」であれほどディーゼルが憧れていた仕事も、ジェームスからしたらむしろ下の部類に入る仕事だったんだと思うと。

 島の西側を担当しているはずのジュディとジェロームがヴィカーズタウンでヘンリーを救助しています。しかも昼にはナップフォード駅にいたし直後のシーンでもナップフォード駅にいるのに。ロッキーによっぽど外せない用事があって、止むを得ずエドワードがナップフォードまで行って彼らを代わりに連れて来たんでしょうね。
 でハゲデブは何やってんの。遊んでんのか仕事してんのかこれもうわかんねえな。あと局長が使ってる機関車の玩具にカウキャッチャー付いてるのは、やっぱメリケンに毒されてるってことなんですかね(適当)。
 さてここでもソドー島の地図が出てくるのでよく見てみると、こちらにはヴィカーズタウンに続く高山鉄道も描かれていますね。あれ、でもカーク・ロナン線はやっぱり描かれてない……あれ、何か心配になってきたぞ。

 さて、トップハム・ハット卿の声を盗み聞きして得た情報をジェームスに伝えるトーマス。ジェームスが他人の言葉を都合良く解釈する時って大抵勘違いで痛い目に遭うイメージがありますが、今回に関しては彼の予想は当たりなんですね。
 ジェームスが歌の中で言う「see the world」はトーマスを意識しての言葉なのか分かりませんが、少なくともこの言葉がトーマスの内面を刺激したのは確かなんじゃないかと思います。周囲からの信頼と功績(&自分の支線)、ずんぐりむっくりした自分に対する自信、そして広い世界を見るためのチャンス。『はじめて物語』より後に作られた長編はどれも、トーマスが『はじめて物語』で得たと思っていたものを一度失い、それを再び取り戻す過程を描いた物語なのではないか、という感じがします。だからこそ、原点である『はじめて物語』は『The Adventure Begins』、冒険の始まりであると言えるのではないでしょうか。
 繰り返しになりますけど作業員たち楽しみすぎでしょ。でも作業員にせよ乗客にせよ、それだけジェームスに人望があるってことを表しているのかも知れませんね。実際のところ、もしジェームスが同僚だったら嫌だけど贔屓鉄道のマスコットとしてなら好きになれそうな気がします。
 さてさて、局長の話の中にブリドリントンという地名が出てきました。イングランド東部にあり北海に臨む海岸の町です。鉄道駅もあります。比較的小さな漁港で人口はソドー島のティドマスと同じくらいであり、知名度もそれほど高くないはず。何故この町が選ばれたのでしょうね。バロー=イン=ファーネスのちょうど反対側にあるからという理由ぐらいしか思い付きませんが……。
 ジェームスの仕事の件で不満げなトーマスに軽く説教を垂れるトップハム・ハット卿。ここで彼が言っている内容は簡潔ながらも的確な正論なんですが、残念ながらトーマスには響いていないようですね。考えてみれば、アーク制作になって以降の長編では、ナイトロジェン時代に比べるとトップハム・ハット卿が事態の解決に直接貢献する度合いが明らかに低くなっている気がします。特に『探せ!!』ではトーマスが言い訳しまくったり局長がトーマスを誤解したまま叱責したりと互いに事態を悪化させ合ってましたし、逆に『走れ!』ではその反動なのか急にトーマスへの態度が甘くなりました。本作のハットちゃんもそれに近い感じですね。まあ権力者が鶴の一声で全て解決してしまうと視聴者も冷めますが、かと言って仮にも局長の部下であるはずの機関車が規律に全く従わないとなるとそれはそれでヤバいですし。あ、でもAIの暴走に始まるディストピア系SFとか面白そう。いやいやそういう問題じゃない。まあ、局長の目を恐れながらもそれを掻い潜って事態の解決に奔走し最後は局長に認めてもらう、という『伝説の英雄』や『ブルーマウンテン』の感じが理想的かなと個人的には思います。それも『探せ!!』とは紙一重ですけどね。

 なんつってる間に4時っすよ(笑)あ~あ、特別な機関車の辛いとこね、これ。
 とか言ったかどうかは知りませんが、翌朝早くヴィカーズタウン操車場にやって来たジェームス。ちなみにこの操車場ってオリバーやステップニーがいたのとは別物って考えていいんですよね? だよね、蒸気機関車うじゃうじゃいるし。
 ここでたまたまジェームスの前に現れたのがロージー。先ほどちらっと触れたように塗装が変わり車体番号も付いていますね。でも朝焼けのシーンのおかげでそれほど目立ってはいないように見えます。聞いた話では性格設定も若干変更されたようですが、ヘンリーの貨車を何の疑問もなくトーマスに引き渡しちゃう辺りにお転婆設定やトーマス大好き設定の名残がある感じして面白いですね。
 さあ我らが主人公トーマスは念願のメインランドに入線。前作ではヴィカーズタウン橋を渡って少し行く辺りまでが苦難のように描かれそこからレイルウェイ・ショーまでは一直線でしたが、今回はヴィカーズタウン橋は一瞬で渡り切り、その後のメインランドでの出来事が長きにわたって描かれます。前作はあくまでトーマスがソドー島というチームの一員として何をするかに物語の重心があったのに対し、本作ではトーマスがメインランドにおいて単独で何をするかに重心が置かれているということかも知れません。

 ジェームスはソドー整備工場へ駆け込み訴えに行くも、局長は彼をトーマスの支線での任務に就けてしまいます。最近のトップハム・ハット卿は、結果的に仕事の遂行、もっと嫌な言い方をすると自分の利益に繋がるのであれば部下の多少の過ちも許してしまうという利己的かつ合理的な資本家の面が強調されているように思います。そのため機関車たちのメンタルケアが不十分であり、結果として先ほど述べたように機関車たちの問題解決にはあまり貢献できないという感じですかね。しかしこうしたトップハム・ハット卿像は『はじめて物語』でも描かれたような初期の彼に近い部分もあるので、ある意味では原点回帰と言えるのかも知れません。まあ個人的には、初期の段階ではやや無慈悲な上司だった彼が後期に向かうにつれだんだん人間らしくなっていく感じが好きだったので、この点は少し複雑でもありますが。多分、あまり良心的すぎる人物だとネタキャラとしても機能させづらいんでしょうね。あ、ちなみに、以前は模型時代の局長が初代でCG時代の彼は息子なのではないか?なんて仮説を立てたりもしていましたが、『はじめて物語』の辺りからちょっとややこしくなってきたのであまり深く考えないことにしました。

 メインランドでトーマスが渡ってる橋ってどこなんでしょうね。モデルくらいはあってもおかしくなさそうだけど。外観的にアーノス・パーク高架橋(ロンドン)、ホックリー高架橋(ウィンチェスター)、チェスター・バーン高架橋(ダラム)、リブルヘッド高架橋(ノース・ヨークシャー)辺りが近そうですが、どれも位置がかけ離れてたり川が通ってなかったりします。
 ところで、予告編でこの辺りの映像を見た時(CGしょぼいな……)と感じたせいか、今もこのシーンら辺で急にCGのクオリティが下がってるような気がしてならないんですが、私だけでしょうか。
 メインランドに来たからにはどんな大都会が出てくるのかと当初は期待してましたが、景色こそ壮大なものの割と田舎の場面が多いです。まあ実際いくらイングランドと言っても全ての場所がロンドンのような所ではありませんし、田園風景が出てくるのはリアルではありますけどね。ただ、それでもトーマスが大きい建物(さほど大きくない)とか青い家とかにいちいち反応してるのはちょっと滑稽ですね。感動するところそこかよ!みたいな。でも、そんな些細なものにも目を奪われるトーマスの好奇心の強さと世間知らずっぷりはよく表れていると思います。そうだよね、貨車は機関車と違って自走はできないけど、小型機関車にも大型機関車にも牽かれることはできるわけで、つまりメインランドのような見知らぬ場所に行けるチャンスはトーマスよりも沢山持ってるということになり、そりゃ貨車の方がトーマスより冷めてるという状態になってもおかしくないよね。トーマスと貨車の会話が対等と言うか、下手すると貨車の方が大人に見えるのが何か悲しいなぁ。
 そしてメインランドのジャンクション。機関車のCGモデル不足のせいでしょうが、なるべくメインランドにいてもおかしくないソドー島の機関車をチョイスした上で誰が列車を牽いてるか分かりづらい映し方をしている辺り、スタッフの苦心が窺えますね。

 ジェームスが抜けたトンネルは「やっぱりやんちゃなフィリップ」で彼が事故ったのと同じ場所でしょうか。だとすればこのトンネルはトーマスの支線上、それもメイスウェート駅の近くということになります。するとジェームスが事故った時に走っていたのは差し詰め、エルスブリッジを通る環状線の別ルートといったところかな。
『はじめて物語』では、かつてジェームスがトーマスの前にアニーとクララベルを牽いていたことが明かされました。ですから今回は久しぶりの共同作業……のはずなんですが、双方とも不満げです。まあそりゃそうなるわな。ところでふと思ったんですが、ジェームスが急ブレーキを掛けることが多いのって、ブレーキを掛ける度に気を遣わなければならなかった木製ブレーキ時代を脱して鉄製ブレーキを獲得した経緯があるため、木製の時にはできなかった急ブレーキを掛けることで鉄製ブレーキの安心感を味わおうとする癖が付いてしまったことが間接的な原因だったりするのでは? まるっきり妄想ですけど。もしそうだとしたら多少擁護の余地も……ねえな。少なくともオーバーランに関しては擁護できない。エドワードに重連で一から鍛えなおしてもらえ。
 アニーとクララベルの声がよく聞こえないと言うジェームス。単純に二人が小声で話してたせいもあるかもですが、トーマスと違って炭水車がある分客車との距離が遠いことも影響してるかも。まあこいつのことだし、あるいは難聴説もありそうな気がしますが。

 メインランドの運河沿いでガントリークレーンのベレスフォードに出会うトーマス。この運河もどこなんでしょうね。固定式クレーンのベレスフォードがブリドリントンを知っている辺り、同地からそれほど離れてはいなさそうですが。まあいずれにせよ、ベレスフォードのモデル機が働いていたブリストル港でないことは確かです。スタフォードのように地名由来の名前かと期待もしましたが、Beresfordという地名は主にイングランド南部にあるもののようです。ベレスフォードがカリブ訛りで喋ってるのも何か謎ですね。
 ベレスフォード、形状がもろメリックと被ってる気がするけど大丈夫かな。あと足場ちゃんと固定しろよクランキーみたいになるぞ。それはさておき彼が繰り返す「Who goes there?」は歩哨が誰何の際に使う言葉なんですね。彼のキャラクターが門番をイメージしていることが窺えます。
 急に歌うよ。「Who's Thomas?」。日本語版ではトーマスがベレスフォードの歌をぶった切って「ぼくはきかんしゃトーマス」を歌い出したりしたら面白そう。嘘です。あんたは自分のことトーマスや言うとるけど俺はトーマスなんて奴知らんから何者なんか説明しろやと。この要求にトーマスは自分の名前・種別・出身地・目的を述べますが、ベレスフォードはそれだけじゃ分からんから何か他に新しいこと言えやと追及。トーマスは自分の性格に対する周囲の評価・自分がここに来た経緯を説明します。まあ要するに、異文化圏の見知らぬ相手に自分が誰なのか説明することの難しさですよね。貨車も言っている通りメインランドでは誰もトーマスのことなど知らないのですし、今までずっとソドー島で暮らしてきたトーマスは島内で初対面の相手に自己紹介したことは何度もあるでしょうが、島外で自分を説明するには彼のアイデンティティは脆すぎるというわけです。余談ですが、トーマスは当初、自分がもっとメインランドで有名な存在であると予想していたかも知れません。何故なら、かつてメインランドからやって来たチャーリーが、ソドー島に来る前からトーマスのことを別の機関車に聞いて知っていたからです。じゃあこの別の機関車とは誰なんだろうということですが、私は原作12巻に出てくるパグ(モデル機の半分がチャーリーと同じリーズ地方で製造された)だと予想しています。でなければジンティーか、ブライトン時代のトーマスの仲間とかかな。
 さて、貨車たちめっちゃ揺れてます。まあ自走できないとは言え、機関車を押したりガチャガチャ音を立てたりという描写は嫌と言うほどありますから横揺れぐらいは許容範囲でしょう。その後の自走シーンは……歌の途中じゃなければアウトだったね。まあ会話の途中に即興で歌い始めるなんて現実にはあり得ませんし、その歌の中で繰り広げられることならどんなにファンタジーでも現実じゃないからOKみたいな風潮、近年のトーマスにもありますよね。でもそうなると、オペラやミュージカルで描かれる物語ってどこまでが真実と言えるんだろう。レミゼとか。まあいいや。
 一方ベレスフォードは他人に質問しておきながら自分はソロパートに突入したりしてます。後の場面で出てくる彼のメンヘラ臭が早くも片鱗を覗かせてます。とは言え、トーマスは自由に色んな場所へ行けない自分を不幸だと思っているけど、もっと自由が利かない奴も世の中にはいるんだよってことがここでは示されていますね。与えられた場所から動けないことについて葛藤したり、逆にそのことが周りの態度に影響したり、っていうのは固定式クレーンなら誰にも当てはまるさがなんでしょうかね。クランキー然り、コリン然り、レッジ然り。メリックはエピソード少なすぎるからダメ。ついでにオーエンもダメ。あとクランキーもですが、自由を象徴する動物である鳥と目線の高さは同じでありながら自分は鳥と対照的にその場を離れることができない、という状況、改めて考えるとなかなかクるものがありそう。
 けれどトーマス君はこんな危ない奴に構っている暇はありません。俺の名前はトーマスだけどお前は聞いたことないんだろ? ならお望み通りお前の知らない新しいことを言ったってことになるよな? だからここは遠慮なく通らせてもらうぞと。一休さんっぽいな。

 その日の午後遅く、木々の生い茂る謎の場所までやって来た所でトーマスの石炭がなくなります。トーマスの石炭搭載量は2.5トンだそうです。ちなみにゴードンは8.1トン、エドワードは3.6トン、パーシーは2.0トンとのこと。ヘンリーとジェームスは不明だけど、それぞれゴードンとエドワードと同じくらいと考えればいいかな。
 ここでアメリカ生まれのキャブ・フォワード型機関車のレクシー登場。ネット上ではレキシー表記が定着してるみたいですが私はあくまでレクシーを貫くつもりです。トーマスが顔の位置を誤認して一瞬煙室の方に視線をやってしまうのが細かいですね。性格はと言ったらとりあえずうるさいんだけども、ケイトリンとかマリオンみたいなキャラが既にいるせいである程度耐性が付いちゃってるからアレ。Lexiという名前はギリシア語由来で、「守護者」を意味するアレクサンドラやアレクサンドリアの愛称として使われます。
 続いてギアード・ロコのセオも登場。予告編や前情報から無口なキャラというイメージがあったので、正直思ったより饒舌だなという印象。トーマスに会って真っ先にスクラップにされるのではと疑うのは、自身がスクラップにされることを普段恐れているからでしょうか。Theoの名前もギリシア語由来で「神」を意味し、セオドアやセオドシウスの略称として使われます。
 ここで登場する実験用機関車たち、特にセオは自閉症患者の特徴をモチーフにしたキャラクターだそうですね。脚本家のブレナー氏は、母親が保育園を運営していた影響もあり、自閉症の子供たちと触れ合う機会の多い環境で少年時代を過ごしました。現在保育園を運営している妻と出会ったのもそれがきっかけだったそうです。このような経験が自身のキャリアに多大な影響を与えていることはブレナー氏自身も認めていますから、恐らく自閉症というテーマは彼が脚本家として一度扱ってみたいものだったのでしょうね。実際なかなか興味深い試みだと思います。
 ちなみに、新キャラたちのモデル機についてはろくに調べていません。まあその辺りは私などよりずっと詳しい方がいるでしょうからそちらに任せることにします。悪しからず。
 仲間を手伝うよう言われる度にビビるなど、セオはとにかく自信のなさげな言動が目立ちます。自分の能力の低さを自覚しており、また環境の変化に適応することが苦手だからでしょうね。一方レクシーは一見明るくはきはきとしていますが、口調を頻繁に変えていることから、自分という存在の何が優れているのか分からず自身のアイデンティティを確立できずにいるキャラなのだと思います。トーマスを手伝う時にも、自分より明らかに非力そうなセオに役割を押し付けて自身は何もしません。自分に自信がないか、あるいは自分が余計な行動をしてしまうことを恐れているのかも知れません。
 セオとレクシーはもう一台の仲間であるステルス機関車マーリンについてトーマスに語りますが、この時点では本人はまだ出てきません。

 トーマスは実験場を離れて光に導かれるまま走り、巨大な製鋼所に入ります。この辺りの演出は『オズの魔法使』を意識しているらしいですが、生憎私は観たことないので分かりません。今度観てみよう。
 この製鋼所もモデルありそうな感じしますね。ノース・ヨークシャーの旧ティーズサイド製鋼所なんてどうでしょう。ブリドリントンからもそう遠くないし鉄道も近いし外観も何となく似てるし。まあ製鋼所の外観なんてどこも似たような感じかも知れませんが。いずれにせよ、後のシーンで出てくる細かい描写を見るに実際の製鋼所でロケハンするぐらいはやってそうな気がします。
 さて、その製鋼所で働くタンク機関車ハリケーンとディーゼル機関車フランキーが登場。
 まずハリケーン。タンク機関車なのにくっそ強そう。モデル機の写真を見るとずんぐりした印象を受けるんですが、ハリケーンは適度にスマートですね。彼のモデル機もレクシーたちと同じく試験的に造られた機関車のはずですが、本作のハリケーンは製鋼所の作業要員として普通に働いていますし、実験場の面々とも面識がない可能性が高そう。けれどもこの後の展開を考えると、製鋼所側と実験場側のどちらに転んでもおかしくないという意味でキーキャラ感ある気がします。ちなみにHurricaneという言葉は、マヤ神話に登場し風や火を司る創造神フラカンが由来だそうです。へー。
 続いてフランキー。メイビス以来の女性ディーゼル機関車ですね。車体にM.S.C.と書かれているのを見るに、製鋼所に来る前はモデル機と同じくマンチェスターの運河で働いていたのでしょうか。名前の通りフランクな性格のように見えます。心なしか原作に登場するアールズデール鉄道のディーゼル機関車フランクに形状が似ている気も。Frankieはフランク(男性名)やフランシス、フランシーン(女性名)の愛称として用いられる名前で、いずれもフランスの由来にもなったフランク人が語源です。その意味するところは「槍」「勇敢な人」あるいは「自由な人」だそうで、率直な性格をフランクと表現するのもそこに由来しています。フランキーは一見自由奔放なように見える機関車ですが、彼女もその実は全く自由ではなかったということが終盤で明らかになりますから、それを考えると因果な名前ですね。なお、フランキーのモデル機の正式名「アランデル・キャッスル」は1067年にウェスト・サセックスに建造されたアランデル城から取られていますが、この城を築いたロジャー・ド・モンゴメリーはウィリアム1世征服王の相談役の一人だったそうです。ウィリアム1世と言えば、フランスのノルマンディー公国からやって来てイングランド王を打ち破り、現在まで続くイギリス王室の開祖となったヴァイキングの末裔。だから何だという話ではありますが、要はフランキーという名前もアランデル・キャッスルという名前も共にフランスの侵略者にゆかりのあるものだということです。本作のフランキーも、ある意味ではトーマスたちの平和を脅かす侵略者的な存在であると言えるかも知れません。
 我ながら怒涛の長文キモいな。
 ハリケーンとフランキーはどちらも顔が汚れています。初見の時点では陽気な働き者というイメージを喚起するこの顔ですが、実はこの段階で既に製鋼所の厳しい労働環境が示唆されていると見ることができるかも知れません。また、どちらかと言うとハリケーンの方がフランキーに比べ顔の汚れが多いように感じるのですが、これが二台の関係性を表していると見るのは流石に深読みしすぎでしょうか。他にも、自己紹介はハリケーンが先だけどトーマスの心を掴んで仲間に引き込もうとするのはフランキーの方が先だったりとか、今後の展開があるせいで細かい部分まで色々余計なことを考えてしまう。
 急に歌うよ。「The Hottest Place in Town」。この曲、初見時にかなり引き込まれました。正統派な現代の洋楽って感じ。ディズニー・ピクサー辺りで流れてそう。高めの女声と低めの男声によるデュエットも今まではあまりなかったので新鮮に感じます。ハリケーンもさることながらフランキーの声がいいですね。歌映えする声だなと思います。なので日本語版のキャスティングにも期待したい(ゲスト声優を使えとは言ってない)。
 まあしかし、この曲をべた褒めしてる私はトーマス同様まんまとフランキーたちの策略に嵌まっているわけで。歌詞を要約すると……どこ行くつもりだったか知らないけどさ、君がここに来ることは最初から決まってたんだよ? いいからこの楽しい場所で一緒に働こうぜ、絶対気に入るから! ほら君も一緒に歌えよ! とまあこんな具合ですか。初見ではいかにも楽しげなのに、後から内容を考えるとゾッとしますね。特に冒頭の運命論的な歌詞とか。
 個人的なイメージですが、ハリケーンは肯定から、フランキーは否定から入るタイプのような感じがします。更に踏み込めば、目的は何であれひとまずは他人の心に寄り添おうとするのがハリケーン、あくまで他人と一定の距離を保とうとするのがフランキーでしょうかね。トーマスを名前で呼ぶ前者と、意地でも呼ばない後者。心から友達になろうとする前者と、仕事仲間より親密な関係にはなろうとしない後者。それに終盤の描写を考慮すると、フランキーはうっかり自分の感情が発露してしまうことを恐れているのかも知れませんね。てか、ここに書いた推察だけでハリケーンとフランキーの薄い本一冊作れるんじゃないか? あっ何でもないです。そんでもって、ハリケーンが工場前に留まりフランキーがトーマスを機関庫まで案内するのも何となく意味深なんですが、まあこれは後で触れることにします。

 場面はソドー島に戻り、ティドマス機関庫。ジェームスが仲間を小馬鹿にした冗談を言うも全くウケないってシーン、『怪物』でも見たぞ。
 これまた後でも触れますが、仲間の不在に対する機関車たちの態度が以前よりドライになっているように見えますね。パーシーとか一応悲しんではいますけど。てかパーシーはメインランドに行くのが怖いって正直に告白してるけど、これは『怪物』の時より成長していると見ていいのかどうか。

 夜が明けて製鋼所。フランキーに叩き起こされ(比喩)ハリケーンにも叩き起こされ(物理)るトーマス。
 新入りが持ってきた貨車を俺たちに任せてくれと言って引き受けるパターンは『ディーゼル10の逆襲』を思い出しますが、引き受けた貨車を後で本当にブリドリントンまで運んでくれる辺り、デンとダートよりも優しい……と思いきや、お前の仕事手伝ってやったんだからお前も相応の報酬を払えやと要求。あっデンとダートめっちゃいい奴らだわ。
 二台とも思ったより早く本性を現しましたね。どこぞの元海軍軍人くらい粘ってくれても良かったんだけど。まあ、ここで出た本性もまだ二台の素の姿ではないっていうのが本作のミソかな。
 それでも、この時点ではまだトーマスは仕事を楽しんでるし達成感も感じてるんですよね。結局のところ役に立つのが好きなのはどこ行っても変わらないし。ただ、序盤でジェームスが繰り返し使っていたfavouriteという言葉をここでフランキーがトーマスに使っているのがちょっと怖いですね。トーマスはジェームスに負けたくなくて「お気に入り」「人気者」の地位を得ようとしていましたが、いざそれを得たと思ったら、トーマスを「気に入」ったのはトップハム・ハット卿でも世間の人々でもなく、トーマスをこき使おうと目論むフランキーとハリケーンだった。誰かに気に入られることは絶対的に良いものではない、という本作のテーマの一つがここで暗示されているわけです。
 さて、仕事の途中に誤ってスラグカーを倒してしまうトーマス。溶けるバケツ。スラグの恐ろしさをここで印象付けておくことで、終盤でのあいつの勇敢さが映えるんですね。

 一方、仕事か遊びか知らんけどティーカップを倒してしまうデブ。でも、トーマスの件への気懸かりが原因でカップを倒したのだと分かりほんの少し株が上がる。あと、作業員か駅員か分からんけど局長を慰めて紅茶を片付けてあげるあの人イケメンだな。
 てかお前そのよく分からん遊び道具、外まで持ってくんかい。まあそれはいいとして、やっぱりトップハム・ハット卿をはじめみんなトーマス行方不明に対する反応が比較的淡白ですね。まあ、実際の鉄道の反応としてはリアルだし、今回に関してはトーマスの自業自得な部分が大きいからってのもあるんでしょうけど。海や無人島まで捜索の対象だった『ミスティアイランド』に比べれば今回はまだ見つけやすいだろうし。おまけに『ミスティアイランド』の場合、局長はトーマスが艀に載ることを許可して遭難の原因を自分が作ったという負い目も感じてただろうし。今回なんか、使える機関車が二台減ってるのに全部想定の範囲内だみたいなことまで言ってますからね。でもあれですよね、今回みたいに部下がいなくなっても動じない方が頼もしく有能な上司に見えますけど、上司ではなく父親として考えるなら、『トーマスをすくえ!! ミステリーマウンテン』や『ミスティアイランド』のように機関車たちと一緒になって右往左往してくれた方がトーマス的には嬉しいですよね。

 製鋼所。やはり先ほども述べたように、フランキーはトーマスのことを都合良く働いてくれる機関車としてしか考えないよう意識しているのだと思います。また、ハリケーンがトーマスと必要以上に仲良くなることを抑止しようともしているようです。前夜にフランキーがハリケーンを置いてトーマスを機関庫に案内したのもそのためでしょうか。トーマスの名前を呼ぼうとしない彼女の姿勢は、ハリケーンだけでなく、トーマスという機関車の何たるかをしつこく追及していたベレスフォードとも対照的ですね。
 毎度のことですが、人間もうちょっと喋らせても罰は当たらないと思う。今回は製鋼所の作業員がフランキーたちとグルになってるのも明らかだし。
 急に歌うよ。「I Want to Go Home」。悲しげな感じの曲って珍しいですよね。この辺りから仕事中でもトーマスの顔から笑みが消えています。まあ理由は色々思い当たりますね。本来楽しんで行うべき労働を、自分の意思に反して強制されたから。労働力として以外の自分の価値を認めてもらえないから。自由に外へ行くことができないから。人間であるトップハム・ハット卿ではなく同じ機関車であるフランキーたちにこき使われることに嫌気が差したから。親しい仲間に会えないから。で、そうした諸々がソドー島という環境の素晴らしさを浮き彫りにすることとなり、結果としてトーマスはホームシックを経験するに至ったのでしょう。
 そしてそのテンションのまま仲間たちの姿を思い起こします。パーシーの次に出てくるのがトビーなのがいいですよね。ゴードンはもっと笑え。あと話の都合上仕方ないことではあるけど、たまたまこの時に険悪な仲になってただけのジェームスが「いやこいつに関しては別に友達でも何でもないんだけどね」みたいなノリで強調されてるのがちょっと不憫。視聴者からしたらディーゼルが普通に入ってることの方がよっぽどアレなんですけど。それもトーマスから割と近い位置。ディーゼル機関車の中で最もトーマスと仲がいいであろうパクストンですら結構端っこなのに。並び方も規則性がありそうに見えて前列と双子キャラ以外は案外適当っぽいですね。もっとこだわり持ってくれても良かった。とりあえずディーゼルとラスティーoutしてダックとウィンストンinだね。あーでもカモを愛でる奴とアヒルを仕返しに使う奴とだったらやっぱ前者に軍配が上がるのかな。
 そして、行きたいと思っていたメインランドの名所(ブラックプール・タワー、ヨーク大聖堂、スケグネスなど)について考えつつも最終的にはおうちが一番だという結論に至ります。
 多分ですけど、トーマスにとっては恐らく初めてのホームシックですよね。それも、ドナルドとダグラスやヒロのような満ち足りた現状におけるホームシックではなく、現状への不満の爆発という強烈な形でのものです。これにより、それまでは広い世界を見ることばかり考えてきたトーマスが価値観を大きく転換させ、ソドー島の外だけを向いていた彼の目はここで初めて我が家を目指すことになります。転車台での方向転換のカットにもそれが表れていますね。そうして一度気持ちの整理が付いたら、判断力と行動力がある彼のことですから、いつまでもフランキーたちに大人しく従おうなどとは考えず独力で脱出する方法を考え始めます。気持ちの移り変わりも行動も実にトーマスらしい場面だと個人的には思います。
 で、抜け穴を見つけて脱出を試みるトーマス。あ、作業員たち喋ってますね。こういうのがもっと欲しい。それはそれとして、この辺りの流れは割と胸が熱くなりました。まず、逃げ出すトーマスがめっちゃ速い。その疾走感と解放感に曲調の盛り上がりも相まって、いよいよ自由の身に戻れる……!と高揚した気持ちを見事に挫く脱線。上げて落とすのが上手いなと感じますね。

 一方ソドー島ではジェームスがトーマスの支線で羊に苦戦。毎度のことだけどマッコールさん自重しろやワレ。まあ、牛が発生しただけで大きな機関車が恐れ慄く本線に比べたら支線の方が家畜の横断は多いだろうし、ジェームスも苛々はするよね。ただ、少なくとも『はじめて物語』の時点では、彼は自分専用の支線が得られると期待していたんですよね。結果的にそれはジェームスではなくトーマスのものになったわけだけど、今回そのトーマスの代わりに仕事をし、その大変な部分や面倒な部分を知ったことでジェームスにも色々思うところはあっただろうと思います。

 さて、ハリケーンに救助されフランキーに怒られるトーマス。
 救助する役がハリケーンなのは、彼の方が力持ちだからでしょうか。フランキーの力については不明ですが、ハリケーンの牽引力は38,788ポンド(172.5kN)で、他のキャラと比較するならマードックと同レベル。は? 化け物やんけ。ちなみにマーリンの牽引力は23,900ポンド(106.3kN)で、ベルやダックと同レベルです。お、おう。
 ただ、フランキーが面倒な役をハリケーンに押し付けているからという可能性もありますね。もしくは、トーマスに面と向かって説教をするにはハリケーンより自分の方が都合がいいと考えたからかも。そしてこうした点を見ると、フランキーとハリケーンの関係が実はレクシーとセオの関係にちょっと似ていることが分かります。ただしその理由は真逆のものでして、レクシーはトーマスの力になれる自信がないから自分は何もせずセオに頼っているのに対し、フランキーは自分が何もしなくても相手を自分の力で押さえ込める自信があるからハリケーンに任せているのだ、と言えるかも知れません。

 ティドマス機関庫からはジェームスがトーマス捜索に出発。heroの発音がHiroに近すぎて若干ゃ草。

 製鋼所で再び脱出を決行しようとするトーマス。それにしても、この世界ではどこにでも鹿がいるな。
 重い貨車を用いての扉破壊作戦。音に目を覚ますハリケーンとフランキー。不測の事態に仰天したフランキーが思わずトーマスを名前で呼んじゃうの好き。彼女の素が出てる感じしますね。
 機関士が乗ってすぐハリケーンが走り出したということはずっと火室に火が入っていたということになります。現実にも火を付けっぱなしにしておく例は少なくないようですが、あるいはトーマスが脱走する危険性を考慮して予めそうしていたのかも。非常ベルを聞いてすぐ飛び出してくる機関士たちもトーマス対策かな。そう考えると、せっかく新しい労働力を手に入れても、それを維持するためにはフランキーもハリケーンも作業員たちも毎回結構なストレスを抱えなきゃいけないんでしょうね。
 呼び止めるフランキーたちの声を無視してトーマスが扉に突っ込むとこ、ほんと燃えますね。弱者が強者に逆らって上下関係をぶっ壊す場面ってどうしてこんなにわくわくするんだろう。そしてその後の追跡もめっちゃハラハラしますね。分岐点でトーマスと貨車が別の線路に進むとことかも、普段だったら無理があると思うところをこういう場面では何となく妥当な演出のように感じてしまうから、やっぱり雰囲気って大事だと思う。
 雨が降ってるのも恐らくは雰囲気作りのためなんでしょうが、ただ背景で降ってるだけではなくトーマスの車輪をスリップさせることもできるリアルな雨なのが何かいいよね。あとポイント切り替えるシーンで助手が降りてくるとこも毎回律儀に描いてるのすこ。いっそ喋ればいいとは思うけど。
 個人的な考えですが、前作が『カーズ2』なら本作は『トイ・ストーリー3』っぽさがあると思います。ユートピアな職場を装う悪役、主人公による夜の脱出劇、主人公に協力的な一風変わった第三勢力、溶鉱炉(焼却炉)での絶体絶命などなど。一番の違いは悪役が改心するかどうかかな。関係ないけど、この前観てきた『カーズ/クロスロード』めっちゃ感動しました。
 とここで突如として聞こえてくるマーリンの声。彼は自分がキング・アーサー型であると言っていますが、機関車の型名が劇中に出てくるのはメトロポリタン・ヴィッカーズ2型以来だそうですね。74台製造されたキング・アーサー型のうち、マーリンのモデルになったのは783番サー・ギルミアですが、名前の由来になったのは740番マーリンです。そういや、チャーリーのモデル機と同じ鉄道の別型機で車体番号14番のチャーウェルトンという機関車がいたけど、あれがチャーリーの名前と番号の由来って可能性はないかな。それはさておき、モデル機として783番が選ばれたのは当然ストーブパイプ付きの実験車両だったことが理由でしょう。では名前は何故マーリンになったかと言ったら、森で暮らしていたとされる魔法使いの名前がキャラ的に合っていたからではないかと思います。皆さんお分かりかと思いますが、アーサー王伝説の登場人物の話です。キング・アーサー型の機関車は基本的に全てアーサー王物語に因む名前が付けられていました。マーリンはアーサー王の養父で魔法使い。ギルミアはランスロットと戦って負けたコーンウォールの騎士だそうです。ちなみに、Merlinという名前自体はウェールズ語由来で「海の砦」を意味します。まあどうでもいいからとりあえずマーリンとアーサーを共演させたいな。
 ところで、トーマスはこの時点でマーリンの姿を見ていないけど、キング・アーサー型と聞いてどんな姿か想像することはできたんだろうか。何気にトーマスの知識量が試されてる気がする。

 翌朝、ジェームスはブリドリントンの操車場に到着します。現実のブリドリントンにも操車場はあったっぽいけど、こんなに大きくはなかったはず。てかCGモデルが同じだから前作のレイルウェイ・ショーもブリドリントンで行われたんだ!と主張してる人多いけど、個人的には違う気がするなぁ。イングランドの東海岸のブリドリントンが会場だとすると、西海岸に接するソドー島に間違って到着するのはちょっと無理があるし。あの会場についてもどこなのか考えたら色んな説が出てきそうだけど、まあ今回は割愛。
 モブディーゼル軍団の中の一台がウーリという名前であると判明。Ulliはウルリヒやウルリケの愛称として使われる名前のようですから、ひょっとするとメインランドのディーゼル機関車にはみんなドイツ語風の名前が付けられていたりするのかも知れませんね。
 私ハリケーンさん、今あなたの後ろにいるの。こっわ。ハリケーンさんはこのシーンが最も悪役っぽいなと思う。

 実験場に戻ってきたトーマスは自分の無力さについて語ります。すると、それを聞いたレクシーとセオは
 急に歌うよ。「We Can't Do Anything」。素朴なメロディーに乗せ二台が笑顔で陽気に歌う曲ですが、それとは裏腹に歌詞を聞くとかなり闇の深いことを言っています。自分たちは誰かの突発的な興奮により作られたおかげでこんな笑える恰好になった。ユニークと言えば聞こえはいいけれど、要は気狂いの変わり者が作った奇形機関車だ。そんな奇妙な形をしているのに、自分たちには何もできない! ここ以外に居場所はないし、どんなに試験で頑張っても合格は叶わない。仕事を任されてもきっと迷惑をかけてしまうだろう。そんな自分たちに何ができる? 何もできないんだ!
 壮絶ですよね。歴史の長いトーマスシリーズと言えども、ここまで自分の設計者や自分の生まれ自体を恨んでいるキャラたちはかつていなかったんじゃないかと思います。そりゃそうだよね。人にもよるだろうけど、人間も自分を産んだ親とか自分を作った神様とかを恨む機会ってそうそうないだろうし。そもそも機関車たちが自分の設計者や製作者に触れる場面自体あまりないというのもありますが、例えば原作20巻ではスカーロイがボビーさんのことを普通に慕っていましたね。23巻のフライング・スコッツマンは自分の過去について「酷い姿にされた」と言ってたけど、それは改造や塗装に関する話だしな。第一、機関車も含め乗り物全般は人間の都合によって生まれ、人間の役に立つためだけに生き、最後は人間の都合によって死に追いやられる運命にあるわけです。トーマスの世界では大概どの機関車も人々の役に立つことを幸福だと感じているからこうした闇は普段あまり際立たないけど、時折ふとした拍子にそれが表へ出てくることがあるんですよね。近年のトーマスでは特にそういう、人間に振り回されながらもそれに逆らえない乗り物の無力さとか、じゃあその人間から配られたカードでどう勝負するかといったことがよくクローズアップされている気がします。船乗りジョンに酷使され逆らえば流木にされかねなかったスキフもそうだし、本作に似た例で言えばヒューゴもそう。『走れ!』ではトーマスが何の特徴もない機関車として生まれた自分の存在に疑問を感じ、アシマとの関わりを経てありのままの自分を大事にすることを学びました。ですが本作でトーマスが出会った実験場の機関車たちは、そのありのままの自分を元凶として人生を狂わされ苦悩している存在なのです。機関車たちは本質的に人間の都合のために生まれると前述しましたが、その中には急速な技術革新や戦争への投資、あるいは個人の単なる好奇心や趣味によって実験的に造られる機関車たちもいます。もし実験が成功すれば彼らは後から生まれてくる機関車たちのパイオニアになることができますが、そうならなければ失敗作として闇に葬られることになります。いわばレクシーもセオもマーリンも人間の失敗の犠牲者であるわけで、それをユニークとか個性とかいう言葉でフォローして当人たちは納得するのかと言ったら、恐らくしないでしょう。こうしたことは自閉症に限らず世の中の様々な病気や障害にも当てはまることだと思います。欧米はキリスト教圏ですから、障害者は神の特別な意思を受けた存在なのだ、といったような風潮も日本より広まっているのかも知れません(セオやレクシーの名前が神聖な語源を持っているのもそのためかも)。その是非はともかくとして、現実の問題とも重ね合わせて色々と考えさせられる部分ですね。この内容をレクシーとセオがいかにも楽しそうに歌っているのがまた胸を打ちます。あと、ここでの歌詞を聞いて個人的に思い出したのは、今期放送されてるアニメ『プリンセス・プリンシパル』に出てくるベアトリスですね。知ってる人多そうな気もしますが、知らない人もぜひ観てみてください。19世紀のイギリスを舞台にしたスチームパンク風スパイアニメで、トーマスファンなら多分気に入ると思います。5話とか特に。
 それはそれとしてセオの車輪どうなってんだこれ。丸太で走る機関車って実在するんかな。あと、セオがコスプレしてる時の旗には何か意味があるんでしょうか。配色だけ見たらオーストリアかラトビアの国旗だけど。
 さあここでようやくマーリン登場。自分に自信がなさすぎるレクシーやセオとは対照的に、マーリンは根拠のない自信を過剰に持っているキャラですね。そのためか、レクシーとセオは「自分たちは何もできない」で思考停止しているように見えなくもないのに対し、マーリンは「でもやってみることはできる」と何度も主張しており、チャンスさえ貰えれば自分たちは凄いことができると感じているのかも知れません。ですがこれはこれで大事なことだと思います。実験場の機関車たちは生まれてこの方、自分の力を示すチャンスすらほとんど与えられてこなかったわけですから。
 それはそうと最後の方のピタゴラスイッチ好き。小さな歯車の噛み合わせが合わさって大きなことを引き起こすという暗示が込められているようにも見えます。まあ、雰囲気はかなり異なるながらやってることはミスティアイランドと大差ないような感じもしますが。

 実験場を出て運河にやって来るトーマス。ベレスフォード、フックの掛け方危ねえなオイ。曲芸かよ。てか完全に束縛したい系メンヘラじゃん怖っ。
 さて、ハリケーンとフランキーに連れられ運河を通過するジェームス。トーマスと同じくソドー島やらトップハム・ハット卿やらのことをペラペラ喋ってるし、ベレスフォードやハリケーンたちにソドー島がどんなイメージを持たれてるかちょっと心配になる。
 その後、トーマスを追ってやって来るマーリン。セオでもレクシーでもなく彼が来る辺り、それぞれの性格が表れてますよね。そしてトーマスはジェームスを救出しに行こうと決意します。『怪物』と言い『はじめて物語』と言い「やっぱりやんちゃなフィリップ」と言い、ジェームスを助けることは成長に必要なプロセスだみたいな風潮あるよね。
 あと、序盤でトーマスが運河より先まで行かなければ今回のトラブルは起きなかったわけで、本人に自覚がなかったとは言えトーマスを引き留める時のベレスフォードは結果的に正しいことをしていたってことになりますね。やっぱ門番だなぁ。

 製鋼所。フランキーとハリケーンはトーマスの時と全く同じやり方でジェームスを取り込もうとしています。歌ってる時の表情や声色もほとんど同じだし、内容も決められた歌詞をそのまま歌っているだけのように見えます。つまり、トーマスの時も彼を歓迎しようとして感情のままに歌っていたわけではなく、実際は労働力を確保するためのシナリオに沿って歌を歌っていたにすぎないということがここで確認できるんですね。ハリケーンのつっかえ方とかも妙にリアルだし。
 さて、序盤のトーマスと違い冷めてるジェームス。トーマスは自分の知らないメインランドという場所で漠然とした好奇心によって行動していたのに対し、ジェームスはトーマスを連れ帰るという明確な目的を持って製鋼所に来たから、それが彼らの反応の差に繋がったのかも知れません。ともあれ今回のジェームスは普段に比べえらく有能っぽく見えるな。まあ、ついさっきまでハリケーンたち相手に熱い自分語りしてたのもこいつだけど。フランキーとハリケーンの目元以外の部分に影が差してる演出も意味深ですな。

 トーマスとマーリンから話を聞いたセオとレクシーの反応を見るに、レクシーの方がトーマスたちを助けることに乗り気ですね。レクシーは仲間と一緒にいる方が不安が軽減されるってことなんだろうか。
 さて作戦会議です。実験場の機関車たち、特にマーリンは、酷な言い方をすればいわゆる無能な働き者なんですよね。そのマーリンに見張り役を割り当てる辺り、トーマスは心得てるなと思います。フレンズによって得意なことは違うけど、ここにいる面々は得意なことを見つけられないフレンズと得意じゃないことを得意だと思い込んでるフレンズの集まりだし。
 レクシーは自分に役割が与えられたのが嬉しいのか凄い勢いでセオを押してますけど、まあこの押し方を見れば彼女が今まで仲間を手伝うのを遠慮してた理由が何となく分かりますよね。セオ死にそうになってるし。でも、絶対にできないと思ってるセオをレクシーが全力で押す様子はゴードンとエドワードの関係にちょっと似てるなと思ったり。
 ハリケーンとフランキーが門から出てくるシーン、トーマスの隠し方が上手いですね、映像的に。
 そしてこの後の場面では、マーリンとセオとレクシーが実は三台とも作戦の遂行に悪影響を及ぼしているんですよね。マーリンはトーマスから言われた通り見張り役だけに徹していればもっと時間が稼げた。セオはマーリンの動きに気付いてもそれをレクシーに伝えなければ、レクシーはセオに言われてマーリンに気付いてもそこで声を上げなければ、フランキーとハリケーンに気付かれずに済んだかも知れない。マーリンの過剰な自信、セオのビビり体質、レクシーの無思慮というそれぞれの短所がここで仇となっているわけです。
 トーマスがジェームスに再会する場面では、例によってジェームスがトーマスの話を聞かず文句垂れてるうちにハリケーンが来て間に合わなくなる感じかなと思いちょっと苛立ちましたが、話の最後の方はちゃんと聞いてましたね。まあ、結局間に合わないんですけどね。
 そして製鋼所内での追いかけっこ開始。『怪物』でモンスターに散々出てこい出てこい言ってたジェームスがフランキーに同じ言葉で追われるのが皮肉。若干コミカルな部分もあるものの、フランキーもハリケーンも本気でジェームスを衝突・脱線させにきてるのが伝わりますね。
 ジェームスはみんなの助けで何とか脱出するものの、トーマスが磁石で持ち上げられ、溶鉱炉の方へ運ばれていく。ここでセオは誰かの力を借りずに自力でトーマスを救おうとするんですね。でも良かれと思ってスイッチを押したはずが、溶鉱炉の真上で磁石がオフになってしまう。支えを失ったトーマスは落下し、親指を立てながら溶鉱炉に沈……みはせず、運良くクレーンが運んできたバケツにぶち当たり吹っ飛ばされる。親指ねえよボケ。まあでも、仮にも主人公の命を救うバケツなんですから、どういう経緯でクレーンがバケツを持ってきたか描いてくれた方が唐突感は軽減された気がする。『怪物』終盤のマリオンみたいに。
 さて、トーマスが弾みでスラグカーを倒してしまい、零れ出したスラグがまさにトーマスの車輪を呑み込むかと思われたところでハリケーンが彼を救う。スラグの怖さを最もよく知っているであろうハリケーンがですよ。ほんっとに危機一髪のシーンなだけに圧巻です。セオの場合もそうですが、一瞬で生死が決まるような危機に仲間が晒された時の判断ってそのキャラの本質を表すなって気がします。いやーハリケーンって実に魅力的なキャラだなと思いましたね。その後、隠れるのが得意なマーリンが意外な所から現れてハリケーンを助け出すのもなかなかいい。
 とは言え、トーマスとジェームスのみならずハリケーンまでが働けない状況になったことでフランキーは感情の箍が外れ泣き出します。曰く、この製鋼所の仕事は自分たちには多すぎるが、他の機関車は忙しいために誰も手伝いたがらないのだと。そこでトーマスは、能力不足のため働かせてもらえないが自分たちは働きたいと思っているレクシーたちと利害が一致することに気付き、双方を結び付ける役割を果たします。レクシーとセオは不安げではあるものの、今回の一件を経て多少は自信を得たかも知れません。
 メインランドに用がなくなったトーマスとジェームスは早々に帰路につき、その途中で和解します。
 急に歌うよ。「The Most Important Thing is Being Friends」。初見では普通にいい曲だなーと思ってましたが、まさか「Somebody Has to be the Favourite」のアレンジとはね。洒落たことするなぁ。しかも歌詞は、競って自分が一番のお気に入りになろうとするよりも、仲間同士みんなで協力することの方が大事だよねという真逆の内容。トーマスとジェームスが本作でどのように成長したかストレートに伝わってきます。物語の類型的には『ミスティアイランド』同様、典型的な「行きて帰りし物語」と言えそうですね。
 製鋼所のみんなも心配してた割には何だかんだちゃんと頑張って働いてます。でも、これで根本的な問題は解決されたのかな?っていうのはちょっと気になります。フランキーとハリケーンが製鋼所で働き悪役にならざるを得なかったのは、彼らを働かせる誰か(恐らくは人間)がいたからのはず。そもそも製鋼所の作業員は出てきてるけど、所長的な人は登場してませんよね。同じことはセオとレクシーとマーリンにも言えて、彼らを造った人間とか彼らを実験場に追いやった人間とかのことが気になるなと。まあ、全体的にあえて人間を出さないようにしてる感じもしましたけど、そこら辺もまた本作の新キャラたちに影を落とす要素になってる感はあります。でもあんまり細かく描くとせっかく尺伸ばしても収まらなくなりそうだし。もし今後再登場するならその辺のエピソードがあっても面白そうだし、いっそ過去編とかも見てみたい。まあ個人的にはジョンとスキフの過去編の方が見たいですけど。
 ビクターの揺れ方、何となく予想はついたけどそれでも草生える。逆にケビンは全然違和感がない。トレバーもなかなかシュールだ。ジェームスが広場を通過する時にも歌ってることにより、彼が序盤でdisってたトロッターさんと豚へのフォローがさりげなく入ってるの好き。ティドマス機関庫の中でゴードンが一人だけ達観してるように見せかけてやっぱりミュージカルに毒されてるのちょっと好き。製鋼所のメンツとティドマス勢の映像が重なることで遠く離れても強い絆で結ばれてる感が出てるのも好き。製鋼所組のセンターがハリケーンなのほんと好き。
 とは言え、トーマスもジェームスも局長の命令に背いて勝手な行動をしたわけなんで、トップハム・ハット卿のお叱り描写があっても良かったと思うけどそうすると大団円の余韻が失われちゃうしなぁ。歌が終わってから「さて、何があったか説明してもらおうか」でエンディングとかどうでしょう。まあヘンリーオチも面白いからさほど不満はないけどね。きっと後で厳しく叱ったんでしょう。

 エンディングはクレジットのみで映像なし。音楽も劇中で流れた曲のインストやアレンジ。普通に洋画のエンディングって感じがして個人的には好きです。
 今回、全体の尺を伸ばしたのが正解だったかどうかは分かりませんが、少なくとも前作や前々作に関しては明らかに収まり切れてないなという印象を受けたので、今回伸ばしたのも多分正解だったのだろうと思います。


 ……とまあこんなところですかね。
 もっと砕けたテンションでいくつもりだったのに思ったより真面目に書いてしまった。ともあれこれであと一年はブログ更新せずに済あっ何でもないです。
 それでは皆さん、また機会がありましたらお会いしましょう。
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Konkon

どうも管理人です。
きかんしゃトーマスが好きなだけの一般人。よろしくお願いします。